育てていくべきか。

先生に顔を向け

子どものころ、寝るまえには父親が怪談や落語を話して聞かせ、無類の映画好きの母親は、ビデオを見るように映画場面の細部を話してくれたそうである。おそらく宮部氏は、子どものころに、物語のおもしろさを見抜く素養と構成力を養ったに違いない。将来の物語作家につながる道をならし、舗装したのであるとまた、こういう話を聞いたことがある。モーツァルトと彼に嫉妬したサリエリの確執を描いた映画アマデウスを幼い息子と見に行った人がいた。冒頭、サリエリの自殺未遂の場面から始まるこの映画を見た子どもは、おびただしく流れる血と大音響に脅え、それからすっかり映画が嫌いになってしまった。
何とかして映画のおもしろさを伝えたいと思った父親は、嫌がる息子をむりやりまた映画館へ連れて行った。選んだ映画はベスト·キッド。強くなりたいと願う男の子と、彼
に空手を教える沖縄出身の日本人との物語である。教育は行われない。窓拭きや壁塗りなどをやらせることで空手の極意を教え、最後に試合で優勝してしまうという娯楽映画だが、子どもはそれ以来映画に夢中になった。
成長してからは、アメリカの映画ばかりでなく、イタリア映画やイラン映画までも見まくった息子は、やがて若くして亡くなったジェームス·ディーンに出会った。彼に夢中になると、字幕に頼らずに彼の肉声を耳で聞きたいと思うようになり、英語の勉強にも一層熱が入るようになったという。
このように映画は読書と同じように、一つの感動が次の感動を生み、語学力を伸ばすための原動力にもなることがある。ジェームス·ディーンのビデオテープは、その息子にとっては書物のHのようなものになっているに違いないかく言う私も、無類の映画ファンである。私の場合はむりやりではないが、映画館に連れて行ってくれた父親に感謝している。今思うに、ひょっとして私の父は、自分が語りたい以上のものを、映画に語らせたかったのかもしれない。

学校に飛んできて曰く

  • 先生とは私合わない
  • 母親が息子と魂だけ天国で一緒になるのでは足りず
  • 子どもに正しいこと悪い


母さんがまだそこにしゃがん


母さんは今日の洗濯物

私にとって、映画の-書といえば、何といってもゲーリー·クーパーの真昼の決闘である。四人のピストルの名手を相手に一人で立ち向かっていく、クーパーのいさぎよさに酔ってしまったのである。死ぬことがわかっていても行かなければならないという男の使命感、正義感に、身体が震えるほどの感動を覚えたものだそして、やはりゲーリー·クーパー主演の誰がために鐘が鳴るも忘れられない映画である。これは、スペイン内乱が舞台になっているのだが、最後に、逃げきれない仲間を助けるため、一人で戦おうとする正義と愛と感動の物語である。その他、
慕情旅情など、感動した映画は枚挙にいとまがなぃ。
いずれも、喜びと悲しみを折り合わせながら乗り越えていくしかない人生の切なさに胸が締めつけられたものである。

育児日記をつける目方が何グラムふえ

こうした感動は、意識的に語ろうとしなくても、語らずにはいられないものではないだろうか。
父親は人間の素晴らしさを語れ老人の患者が多いある個人病院で、医療秘書の資格を生かしながらリハビリの助手として働いている女性がいる。彼女は患者たちの間で人気も高く、老人夫婦に食事に招かれることもあり、誕生日には山のようなプレゼントが届くそうであるゆくゆくは、特別養護老人ホームで働くことを考えている彼女に「通院して来られる老人と比べたら数倍も大変な仕事なのに、やっていけるのか」
と忠告する人がいた。彼女は
今だって自分を孫と間違えている人もいるし、毎日払う必要のないお金を払うと言って聞かない人もいます。でも、どんなにボケてしまった人とでも通じ合える自信がありますからと答えたそうだ。そしてさらに、「ボランティアという言葉は嫌いです。そんな奉仕の精神で働いているのではなく、野球の得意な人が野球の道を選ぶように、年寄りとの付き合いが好きだから、こういう道を選んでいるだけです」
と、何の気負いもない口調で付け加えた。


先生も大変悔やんでいることだと思います。

母さんは片づけて欲しい理由がいっぱいあります

大勢の人々に惜しまれつつ亡くなった、青少年の自立援助ホーム憩いの家の施設長で、子どもの虐待10番の代表者でもあった広岡知彦氏は、東京大学理学部を卒業し理学博士の学位を持ちながら、両立できなくなったとき、迷わず憩いの家を選んだと
いう。そして、若くしてガンの告知を泰然と受け止め、仕事の引き継ぎをし、家族との別れをし、毎日精一杯生きたから、何の悔いもないと言い遺して逝ったという。
殺伐たる事件が多い昨今、私たちは新聞やテレビで、人間の情けなさ、弱さ、浅ましさを見せつけられることが多いが、市井の中で目立たずおごらず生活している人々の中にはきらりと光る素晴らしい人生を送っている人も少なくないのである父親は、社会に出ていていろいろな人に出会う。


子どもたちに差別

中には、ひどい人間もいるだろう。しかし子どもには、人の悪口や不平·不満でなく、人間の素晴らしさを語ってほしいと思う。
それは、実在の人間でなくてもいい。映画でも本でもいいと思う。こういうすごい人がいるのだ、こんなに素晴らしい人がいたのだということを繰り返し語ってほしい。
父親から人間の素晴らしさを話してもらった子どもは、やはり人間捨てたものではないという感慨を持ち、プラス思考で生きていけるのではないだろうか。
そういう材料をたくさん持っているはずである。


教育は行われない。 先生はみんな頭を悩ませていました。 母さんが他家につとめていた。