学校で大事

子どもはごねたりむずかったりするでしょう。

その夢をつぶさないこと作曲家の団伊玖磨氏は、著書パイプのけむりの中で、父親の思い出を、次のように語っている。

先生山田耕筰氏を初めて識ったのは三十年前、十二歳の時であった。作曲をどうしても一生の仕事にするのだといってきかなかった僕を連れて、父は当時赤坂にあった山田先生のお宅に相談に上がったのである。先生はこの道の険しさ、難しさを僕に懇々と諭されるはずだった。ところがどうしたはずみか、先生は鋭い目つきで僕を見据えていた末、やり給え、そしてやるからには、最も正統的な勉強を積んで、最も本格的にやり給えといわれたのである。
これで僕の一生は決まってしまった。最も正統的な勉強を積んで最も本格的に。その言葉は、十二歳の時から今に至るまで、勉強中も、そして世の中に出てからも、あらゆる正続的でない音楽からの誘惑、本格的でない線に陥る安易への誘惑から厳しく僕を守ってくれる言葉であった。いつも、僕は音楽家として生きていく危ない岸でこの言葉を思い出し六しんし十二歳の子どもの言葉を真摯に受け止めた父親の姿が、野球解説者の衣笠祥雄さんも、父親についてここにある。

厳しい人でしたが、僕に選択の自由をくれたことを感謝しています。
見つけろ、それをしろと励ましてくれました自分でしたいことをと語っている。

教育目標を持って教職についている
教育目標を持って教職についている
子どもの選択を支持
子どもの選択を支持


母さんがだまっている

子どもの書類はどんどん増えるため子どもの方が端的にしっかりやってしまいます。作家の灰谷健次郎氏はらくいん「今の学校教育から弾き代ばされて問題児の烙印を押されている少年の持つ、確かさや優しさは、ある意味でものすごいものがある」
人を見る目のと語っている。
たとえ、わが子が問題児と言われても、好きなことをやれ
と言える度量を持ちたいものである教える
とr語る
は、根本的に違う以前、テレビ放映されたトイレの脱臭剤のコマーシャルが話題になった。娘がトイレに入ろうとすると、父親が出てくる。すると娘がお父さんのあとは三分十二秒と言って、トイレの臭いが消えるのを待とうとする。そこで、脱臭剤を使えば大丈夫という言葉が出てくるあかしこのことから、家庭の中の父権がここまで落ちてしまった証と言われたものだ。
親が偉かったころはお父さんは臭いなどと、口が裂けても言えなかったはずだ昔、父なぜ、お父さんは偉かったのか。

学習し教師の前ではおとなしく

母の恵みは海より深戦前で言えば、家父長制度があって、父親が絶対権力を持っていたからであり、お父さんが働いてお母さんは家にいるという大部分の家庭において、経済力も含めた総合的な社会的力量として、家族を従える力を持っていたからであ
るしかし現在は、父親に自分が働いているから大丈夫と言わせる力がなくなったことで、父親が自信をなくしてしまった。父親の社会的力量が落ちていて、父親は自分の仕事や時事問題などについて自信を持って語りづらくなっているということ、子どもの側も両親の何気ない会話の中から、わが家の状況に不安を覚えているであろうということをふまえた上で、父と子の関係を考えていかなければならないだろう。
まず、父親はもっと胸を張るべきである。確かに家父長制度に守られていた時代と現代は違う。あの時代の父親は、黙っていても権威を保つことができた。父親の一言には千金の重みがあって、それは語るというよりは、教え、命ずる性格を持っているものだった。教育制度がどうどう考え、どう行動したらいいかという方向を指示する上意下達という構造だったのである現代では、この方法は通用しない。そういう時代だからこそ、教え、命令するのとは違うやり方が求められるのだ教えるということと語るということは、根本的に違う。どう考え、どう行動するかを考える材料を与えるという形でなら、経済的·社会的な力が減少していたとしても、やはり父親あっての家庭だと言えるだけの自信を回復することができるはずである。
子どもの存在を全面肯定して、認め、信じ、あるがままの愛情でぶつかるのが母性ならば、子どもを社会的な存在ととらえ、子どもの人格を社会化していくのが父性と言っていいのではないだろうか。
親であるまえに人間、男と女今でも、結婚式に行くと祝辞の大部分に、
早く二世の誕生をかわいい赤ちゃんを見るのが楽しみという言葉が入っている。友だちの寄せ書きにもこの類の言葉が踊っているし、二人へのインタビューにも子どもは何人ほしいかという質問が必ずある。

幼稚園で消極的な男の子がボス

嫁して111年、子なきは去るという昔ながらの意識が、今でも抜けないでいるのだそろそろ、
結婚イコール赤ちゃん誕生という図式化した考えを改めたらどうだろう結婚とは本来、ある特定の異性に恋をして、一緒に暮らしたいという気持ちが募って成り立つものであり、子どもはあくまで結果として考えるべきものだ。
日本の夫婦関係は、まるで恋愛関係になってはいけないもののようである。若い夫婦でも、子どもができると、たちまちお互いをお父さん、お母さんパパ、ママと呼びはじめ、川の字といって、子どもを真ん中にはさんで寝る。


子どもの好奇心を潰してしまいかねません。

住宅事情もあるかもしれないが、これでは男女の関係の成り立ちようがないではないかそのE、戦後の企業文化は、父親を家庭から奪った。
いるうちに、家庭の中に居場所をなくしてしまった。
父親が家族のために必死で働いてこのように、男としての喜び、女としての喜びを喪失したままでいると、子どもに対してもイライラしてしまう部分が出てくる。母親は、父親から満たされないところを子どもで埋めようとするから、べったりと密接すぎるつながりができあがり、ますます父親と子どもの関係は遠くなってしまうことになる。
その点、アメリカの夫婦は、年をとっても男女関係を維持する。恋愛関係の延長上で成り立っている。お父さんもお母さんも、それぞれ男として女として満たされているのである。性的な意味での充実感を持っているから、心も満たされる。だから、子育ても生き生きとできる。両親を見る目は全然別だと見えます。


子どもの方が端的にしっかりやってしまいます。 教育は行われない。 学校で大事