教育は行われない。

子供自身も汚したくないと思うだろう

父親は、
心の友

を持つことの勧め幼なじみの二人の男がいた。二人とも学校の成績がよく、今と違って、昔は成績のいい者が級長になったのであるいつも級長の座を争っていた。
一人は医者の息子で、送っていた。
旧制中学から高等学校、大学と順調に進み、前途洋々の人生をもう一人は中農の息子で、特に貧しかったわけでもないが、親の方針で、高等小学校を出ると大阪へ丁稚奉公にやられた。本来頭もよく、気ばたらきもよくできたので、周囲の覚えもよく、やがて独立して会社を興した。そして、立志伝中の人物として県人会の会長にもなり、甲子園の一等席に招待を受ける身分になっ一方、大学まで行って恵まれた人生のスタートを切ったはずの友人は重い病にかかり仕事も辞めざるを得なくなった。先生であるということ。労働組合もない戦前のことである。妻子を抱えてたちまち路頭に迷ってしまった彼に、助けの手を差しのべたのが、幼なじみの友人だった。助けたほうも偉いが、もっと偉いのは、その助けを素直に受け入れた友人だという見方もある。
女性はよく嫉妬深いと言われて、嫉妬という字には女偏がご丁寧に二文字ともについている。しかし、男同士の嫉妬にもかなりすさまじいものがある。同期入社の出世争いキャリア組に対するひがみなど、数えあげればきりがない。

学校がやってくれる。

  • 学校に行く必要もないんです
  • 子供は何を支えにして自分を制御するのであろう。
  • 成長発達が盛ん


中学校などではが普通でしょう。


子どもを自分のところに囲い込もうとする。

だから、幼いころからライバル同士だったこの二人の男の間にも、まかり間違えば、越えることができない溝ができてしまっていたかもしれない。
そうならなかったのは、少しキザな言い方をすれば、この二人はだと思う。子どもには、このような心の友を持つことを勧めたい。
心の友
だったから特に今の子どもは、日々の友だち付き合いに心を砕くことが多いように思う。その日!
日をいじめられることなく、いかにして無事に過ごそうかということにかまけていて、友だちとの付き合いも表面的なものになっている傾向がある。友だちへの気づかいだけで疲れ切っている場合もある。
このような表面的な友だちなら、何人いてもむなしい。

子どもが自己実現を望んだ時

いざというときに助けてくれる友だち-お互いに許し合い、認め合い、そしてお互いにいい意味で競い合える、つまり協調と競争関係がうまく両立している友だちが、いい友だちであり、心の友と言えるのだということを、子どもには教えたい。
心の友を持っていれば、それがどれだけ自分の心の傷を癒してくれることか、そして心の友がどれだけ喜びを倍増させ、悲しみを何分の一かに減らしてくれる存在か、という
ことも語ってやりたいものだそれは、大勢はいらない。
数人いればいいのである。
歴史上の好きな人物を借りて、自らの感慨を語ろう司馬遼太郎氏の著作である一連の幕末物には、実に魅力的な人物が大勢登場する。


育てようとしているのにこど

先生のほうがとまどってことばが出ない。

尊皇攘夷派とか佐幕派とかということを超越し、もっと大局的に世の中を見通して行動を起こした坂本竜馬をはじめ、壬生浪と恐れられた新選組の一途さ、岡田以蔵などの暗殺者たちの哀れさ、後に明治の元勲といわれた井上馨や伊藤博文などの若き日の調子のよさ、自分の策におぼれた清河八郎の滑稽さなどなど、およそ人間の持つすべての局面がそこには表現されているこっけいどの立場の人間も皆一生懸命生きたのだということが、しみじみと実感できるのであるそして、日本という国の原点が創りだされたのは、こういう幕末の激動の時代に生きた若い人々の懸命な動きがあればこそと思うのである。


子どもの性別もわかる

私の父は、このような歴史上の人物を通して、いろいろと語りかけてくれることが多かった。話しっぷりは私の年齢に応じて変わり、年を重ねるにつれて、私がどう考えるかを聞いてくれるようになった。父がなるほど、そういう見方もあるのかなどと言ってくれると無性にうれしくて、今度は父親にもっとほめられようと思って、歴史書をむさぼり読んだものだ。織田信長を討った明智光秀を憎々しく思ったこともあったが、別の書物で光秀の胸中の苦衷を知り、人生の不可思議をも学んだこういう積み重ねが、書物を観念で読むのではなく、自分の人生の実像とダブらせながら読む傾向を育てていった。かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂と詠んだ松陰に涙したこともある。男ならば、人間ならば、身体を賭してまで何かを守らなければいけないときもある、などと考えたりもした。


先生であるということ。 母親の生き方の影響を受けています。 子どもはまず反発します。